この建物は、明治時代中頃、北浜銀行(当時)頭取・岩下清周氏ら財界七人衆によって建てられ、「関西政財界人クラブ」と
して利用されていました。
設計・監督は、財界七人衆の一人でもあり、建築道楽で名を馳せた志方勢七翁がうんちくを傾けたと言われています。
施工は当時の大林組。 建物全体の作りは桃山時代を彷彿とさせる総数寄屋普請で、茶室の階を含めると三階建てになります。 建物の土台は、地形をうまく生かした清水の舞台づくりのような木組みで、釘やくさびが使われていません。

大広間の内装は、元から末まで同じ太さの北山杉を使った五間通しの磨き長押、欄間の一枚板の透かし彫り等、いずれをとっても一見の価値があるものばかりです。
三つの茶室は、官休庵木津宋匠が三年間精魂を傾けて造ったもので、他に例を見ない落ち着きと趣を持っています。
日本全国から銘木を集めて建てられた、きわめて贅を尽くした明治の数寄屋造りの名建築です。
当時は主に関西政財界人の清遊の場として、また各界の名士たちの会議、行事等にも利用されていました。
山縣有朋公爵、井上馨侯爵等、明治の元勲と呼ばれる方々も数多く訪れています。
中でも特に、公爵桂太郎が関西を訪れる際、愛妾“お鯉さん”を伴われて、この屋敷でたびたびお泊まりになったところから、元桂公爵別邸と呼ばれるようになりました。

大広間に掲げられている「松風閣」の扁額は、公爵桂太郎が辛亥の年(明治44年)に当所に訪れた際、その風景の美しさに感動され、揮毫されたものです。
阪急電鉄の創始者、小林一三翁も当地を愛し、1910年(明治43年)3月、箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が開通、同年11月、箕面動物園が開業しました。
現在は当館別館としてご宴会、お茶席等にご利用いただいております。
(参考文献「逸翁自叙伝」「お鯉物語」)
テレビ東京系番組「なんでも鑑定団」に出品し、鑑定家の皆さんから非常に高い評価をいただきました。(平成11年11月)
このほかにも、六曲屏風二双をはじめ、文麟ゆかりの文画、骨董を数十点所蔵しています。













